「光が輝いた」  03−12−14
             イザヤ9:1〜6

 <闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた>と、
預言者イザヤは、クリスマスの出来事について語りました。クリスマスは夜の闇の中で起こった
出来事でした。それは、闇に差し込む光として神の御子が誕生されたことを良く表しています。
 クリスマスを本当に知った者は、自分が闇しか持たないのではなく、光を持つ存在となったことを
知って生きていくものになるのです。

 讃美歌102番は、14世紀に作られたクリスマスの美しい讃美歌です。それが歌われていたのは、
今よりずっと厳しい時代です。人々は、戦争や疫病などに脅かされていました。
まさに闇に包まれたような思いで一杯だったでしょう。その中で「天の扉、今しも開かれ…」と
歌います。クリスマスによって、天の扉が閉ざされたままではないことが明らかになったからです。
天の扉が開かれ、神の御子が私たちを照らす真の光として送られたのです。どんなに四方が闇に
見えたとしても、天の扉は開かれ光は注がれたのです。闇ではなく、その光に目を向け、イザヤが
語ったように、光が輝いたことを噛み締ながら歌ったのです。

 クリスマスプレゼントを楽しみに待っている子供たちは、クリスマスが手に入れる喜びであることを
よく知っています。イザヤは、神さまが与えてくださる「深い喜び、大きな楽しみ」を「刈り入れの
時の喜び、戦利品を分けあって手にする楽しみ」と言います。クリスマスの喜びは、手に入れて、
持つ者になった喜びなのです。私たちにも、神の御子が与えられ、手にすることができた喜びが
あります。神が御子を与えてくださったのは、それが人にとって、どうしてもなくてはならないもの
だからです。
 
御子は私たちを真に生かす真の光であり、これを持つことで、闇や死の陰が迫ろうと、
絶望しないのです。
 神は、御子を抱え持つ者を、どんな時もご自分の者として守り、死ぬはずの体を生かそうと
される神だからです(ローマ8:9〜11)。
 闇のような時代に、与えられた光を伝えたいのです。